池上彰のやさしい経済学 Chapter2

お金がお金である理由は?

お金とは共同幻想である。みんながお金をお金として信用しているから通用している。

市の成立とお金の始まり

大昔、人間は物々交換で欲しい物を手に入れていた。山で獣の肉をとる人がいる。しかし、肉ばかりだと飽きてしまうので、たまには魚が食べたくなる。しかし、魚を獲っている人を自分で見つけて交換しなければならない。そこで、物々交換をしたい人が広場に集まるようになった。これによって物々交換をする相手が見つかりやすくなる。こうして市が成立した。ところが、肉や魚はずっと持っていると腐ってしまう。そこで、保存性がよく、みんなが欲しがるものに交換しておこうということになった。そこで、稲が物々交換の仲立ちとして使われることになった。それぞれのものを稲の「ね」とどれだけ交換できるかといってるうちに、これが「値段」の「値」になっていった。服になる布地も同じ用途で使われていた。「紙幣」の「幣」は布のことである。このように稲や布が物々交換の仲立ちとして使われていたが、稲はあまり長持ちしないし、布も破けてしまうことがある。そこで、より保存性が高く、あまりたくさん撮れるものではない、金、銀、銅が使われることになる。しかし、これら金属は大量に持ち運ぶには不便ということで、「両替商」という人が登場した。金属を両替商に預けると、「預かり証」というのを出してくれる。そして、何かの支払いをする際にその「預かり証」を使うことで、わざわざ金属を持ち運ぶ必要がなくなった。これが「紙幣」の始まりである。 明治に入ると両替商がいくつか集まって「銀行」というものができた。それぞれの銀行が金の量に応じて「預かり証」を発行していた。しかし、悪質な銀行では持っているお金以上の「預かり証」を発行していて、その不自然さに気づいた人はお金に変えておきたいと考えるようになり、取り付け騒ぎが起こる。他の銀行に預けている人もそれをみて不安に思い、あちこちの銀行で客が殺到し、金融不安が起きてしまう。これはいけない、やはり国全体での信用が必要だから、お金を発行できる機関はひとつだけにしようということでできたのが「中央銀行」である。金とお札を交換できるようなお札を「兌換券」と言い、この兌換券に基づいた制度を「金本位制度」という。

金本位制度の終わり

ところが、やがて経済が発展してくると、金本位制度では紙幣が足りないという問題が出てきた。そこで、お金の量に関係なくお札を発行できるようにしようということで、日本では1932年に金本位制度ではなくなった。ちなみに、紙幣は「中央銀行」が、硬貨は「日本政府」が発行している。

金融とはお金を融通すること

銀行の大きな仕事の一つに金融があるが、これはお金が余っているところからお金が足りないところにお金を融通するという意味である。

銀行は融資の仲立ちをしている

例えばお金をたくさん持っている人がいるとして、それをどこかにきちんと保管したい、あるいはお金を貸して利息で儲けたいと考えたとします。しかし、自分でお金を借りたい人を見つけるのは簡単ではないし、貸したお金がきちんと返ってくるかという不安があります。それを代わりにやってくれるのが銀行である。銀行はお金を借りたいという人、企業がいればその内容を審査してお金を貸す。そして、銀行はお金を貸す時の金利とお金を預けるときに払う金利の差分で儲けている。

銀行がお金を作る?

銀行がしている大きな仕事に、お金を作り出すという仕事がある。例えば、ある資産家が銀行に100億円を預けたとする。銀行はその100億円のうち9割の90億円を会社Aに融資したとする。さらにその90億円のうち9割の81億円をB社に融資するとする。そうすると、元々の100億円が271億円になる。このように銀行は融資するという形でお金を作り出している。これを銀行の「信用創造機能」という。

中央銀行は「最後の貸手」

みんなが銀行にお金を預けている限り、信用創造機能はうまく機能する。しかし、あの銀行大丈夫かなという金融不安が起こると、客が一斉にお金を引き出しにかかる。そうなると、実際には100億円しか持っていない銀行は払いきれなくなり潰れてしまう。そこで銀行は、他の銀行にお金を借りようとするが、取り付け騒ぎを起こしているような銀行にお金を貸したくないので貸してくれない。そこで最後の頼みの綱となるのが中央銀行である。なので、日本の民間銀行は皆日本銀行の中に当座預金口座を持っていて、そこに決まった額を預け入れる「準備預金制度」というものがある。こうして、銀行に全くお金がないという事態が発生しないようにしている。